消費社会研究の第一人者にして、街歩きの達人である三浦展先生とともに、広島を歩いてみよう——。そんなアイデアから生まれた本連載。

第1回は、ウォーミングアップとして、広島郷土資料館を訪ねました。そしていよいよ、今回からが街歩きの本番。建築好きでもある先生が、真っ先に行きたいと名前を挙げたのが、広島市中区にある市営基町アパートです。

三浦先生:10年くらい前に広島で講演をしたとき、知人に連れて行ってもらったことがあるんです。たしかそのとき、「もしかしたら取り壊されてしまうかも」なんて話も聞いたのかな……。でも、今もこうしてしっかり残っている。今日は改めてその姿を、じっくり観察してみたいと思います。

    未来を夢見た巨大集合住宅。基町アパートを歩く

    基町アパートは、1969年から建築がスタートし、1978年に完成した国内最大級(当時)の高密度高層住宅団地です。設計者は、モダン建築の巨匠ル・コルビュジエの孫弟子にあたる大髙正人。住人の高齢化が進むものの、今も約4,000名がここで暮らしています。

    三浦先生:いやあ……やっぱりこれは見事ですね。60~70年代には、こういうデザインが結構流行っていたと思うんです。でも、こんなかっこいいものは、今は東京にも残っていないんじゃないかな。アメリカの西海岸で流行っていたリゾートマンションの影響も感じますね。

    建物のディティールをひとつずつ目でなぞりながら、先生は吸い込まれるように敷地内へと足を踏み入れていきます。

      基町アパートは全20棟。中央部にはオープンスペースが設けられ、敷地内には約200件の店舗からなる商店街「基町ショッピングセンター」も広がります。

      三浦先生:なんだか、宇宙船のなかにいるみたいですね。レトロフューチャーというか、ちょっと未来を感じるというか……。

      あちこちに飲食店の看板も見かけたのですが、時間が早かったせいか、どこもまだ開店前。「これはまたの機会ですね」と話していると、先生の足が止まりました。

      三浦先生:この階段……なんですかね? 地下に通じているのかな。ちょっと降りてみましょうか。

        映画のワンシーンのような、うす暗いコンクリートの階段を下りていくと——、その先に広がっていたのは、意外にも駐車場でした。

        三浦先生:入居者用ですかね。でも、まだ戦争の傷跡が残る時代に、これだけの駐車場をつくろうと思ったこと自体が、すごいですよね。あ、もしかしてマツダのお膝元であることと関係あるのかなあ……。うん、でもこれは現地に来ないと、絶対に気づけない場所でしたね。

          戦後建築に込められた思いと、日本的感性との接点を考える

          ひと通り敷地内を散策したところで、「もう一度、アパート全体を見てみたい」と先生。そこで向かったのが、基町アパートのすぐ隣にある「広島スタジアムパーク」です。

          三浦先生:前に来たときは、こんな公園なかったなあ。もっと殺伐とした雰囲気だったような(笑)。がらりと印象が変わりましたね。子どもたちもたくさんいるし……。いやあ、原爆投下から80年。よくここまで来たなあと、しみじみ思います。

            現在は、スポーツ施設や公共施設が建ち並び、広島の中心地のひとつとして栄えるこのエリアも、かつては「原爆スラム」とも呼ばれていた時代がありました。

            三浦先生:そういう場所だったからこそ、だと思うんです。新しい未来の到来をかたちで示そう、という気持ちがあったんじゃないかな。大高正人も含めて、戦後を生きた建築家たちは、そういう使命感で仕事をしていたんだと思います。

            実際、広島には戦後を代表する建築家たちの建物が今も点在しています。丹下健三による広島平和記念資料館、村野藤吾が設計した世界平和記念聖堂、黒川紀章の広島市現代美術館……。名前を挙げればきりがないほどです。

              三浦先生:丹下さんはまさにそうですが、彼らは近代建築と日本の伝統をいかに融合させるか、を常に考えてきた。でも、一方では西洋の建築家たちも、実は日本をはじめとする東洋の建築に影響を受けています。浮世絵が印象派に影響を与えたのと同じですね。たとえば、僕が一番好きな建物は桂離宮ですが、あの空間感覚と美意識には、コルビジェやライト、ミースにも通ずるものがあります。

              それなら、基町アパートにも「日本的な感性」を感じますか? そう尋ねると、先生は、少し考え込んだあとで、ゆっくりと答えました。

              三浦先生:僕の知識だと、はっきりしたことは言えません(笑)。でも、たとえば、あのずらりと並ぶアルミサッシ。どことなく、“障子”のように見えませんか? 西洋の近代建築なら、窓はもっと小さくつくります。でも、日本の集合住宅では、こうやって大きな窓が並ぶデザインは、当たり前のものですよね。それを僕たちは“普通”と思うわけだけれど、実はそこにも日本的な感性が息づいているのかもしれません。

                お好み焼きと高級住宅街。日常の風景に宿る、暮らしのかたち

                基町アパートの余韻に浸りつつ、ふと時計を見ると、もうお昼過ぎ。朝から歩きっぱなしだったので、お腹も空いてきました。「せっかくなら、お昼は広島らしいものを」ということで、定番中の定番、お好み焼き屋さんへ。

                鉄板の上で、お好み焼きが焼けるのを待つあいだも、話題はあちこちへ飛び、やがて先生の故郷である新潟の話に。ソウルフードから昔の街並みまで、広島と新潟、それぞれの土地の記憶が交錯していきます……が、このあたりの詳細は、いずれまた別の機会に譲るとしましょう。お腹も満たされたところで、街歩きの再開です。

                  「そろそろ、何でもない普通の住宅地を歩いてみましょうか」という先生の言葉で、午後は広島城の北に位置する白島地区から散策をスタートしました。

                  三浦先生:お、古い家がありますね。蔵もあるし、煉瓦の使い方も上手。いつ頃に建てられた家だろう……。いやあ、それにしてもこのあたりは立派な家が多いですね。

                    そうなんです、「普通の住宅地」とは言ったものの、白島は広島でも屈指の高級住宅街。低く構えた瓦屋根の家や、門構えのしっかりした邸宅がぽつぽつと並びます。「このあたり、地価はどれくらいなんでしょうね……」と思わず現実的な話をしていると、遠くから子どもたちの声が聞こえてきました。どうやら近くに公園があるようです。

                    三浦先生:公園を囲むように家々が建っているのが、いいですね。東京だと、公園に背を向けるように家を建てることが多いでしょう? でも、ここはそれぞれの家から公園が見えるようになっている。偶然かもしれないけれど、だから閉塞感がないし、子どもたちも安心して遊べる場所になっていますね。

                      そう話している最中にも、あたりを走り回る子どもたちの声が、晴々とした空に響き渡ります。街のかたちが、そのまま暮らしのかたちになっている。そんなことを、あらためて考えさせられる午後のひとときでした。

                      さて、街歩きの旅はまだまだ続きます。さあ、次はどんな景色と出会えるのか。第3回は八丁堀を出発点に、流川のディープな歓楽街を歩いていきます。

                        interview
                        泉水政輝(Shime inc.)
                        writing
                        福地敦
                        photograph
                        akane takegawa / greenpoint design.

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