
【連載】あの人と、あの街で、歩きながら話すこと#4|小田原のどかさんと読み解く、平和のモニュメント
広島市内で建設コンサルタントとして働きながら、建築家・デザイナーとしても活動する鈴木知悠さん、彫刻家・彫刻研究者・評論家として活動する小田原のどかさんとともに、戦争と平和を物語る広島市内の建築物やモニュメントを訪ねました。
1985年宮城県仙台市生、東京在住。芸術学博士(筑波大学)。彫刻家・彫刻研究者・評論家としての活動と並行して研究・執筆を行う。版元「書肆九十九(しょしつくも)」代表。多摩美ユニオン支部長、アーティスツ・ユニオンオブサーバー、表現の現場調査団メンバー。現在、横浜国立大学専任講師、京都市立芸術大学・北海道教育大学兼任講師。
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このところ、なんだか世界がざわついているような気がします。
ニュースを開くたびに、どこかで戦争が起きていて、誰かが傷ついている。ウクライナへの侵攻がはじまって以来、ガザへの攻撃、イランをめぐる情勢の緊張と、「戦争」というものが遠い国のできごとではなくなってきているような感覚が、じわりと広がっています。
そんな今だからこそ、あらためて考えてみたいのが「平和」というテーマです。
本連載は、広島市内で建設コンサルタントとして働きながら、建築家・デザイナーとしても活動する鈴木知悠さんとともに、これからの暮らしについて「肩肘張らずに考えてゆくこと」をコンセプトとしてきましたが、今回は居ずまいを正して大きな問いと正面から向き合ってみたいと思います。
ゲストとしてお招きしたのは、彫刻家・彫刻研究者・評論家として活動する小田原のどかさん。広島と並ぶ被爆地である長崎にも足繁く通いながら、モニュメントと公共空間のあり方について考えてきた小田原さんとともに、広島の街に刻まれた戦争と平和の痕跡を読み解いていきます。
子どもたちの声のすぐそばで、
「物言わぬ第三者」が語りかけること
おふたりと待ち合わせしたのは、広島市中区にある「袋町小学校 平和資料館」です。
爆心地からわずか460メートルのところに位置するこの小学校は、1945年8月6日の原爆投下によって木造の校舎がすべて倒壊・全焼。しかし、鉄筋コンクリート造だった西校舎の外郭だけが焼け残り、その一部が今も資料館として保存されています。
鈴木さん:ちょっと不思議な空間ですよね。窓の向こうには今も小学校があって、校庭で子どもたちが普通に遊んでいる。
小田原さん:私も、当たり前のように子どもたちの声が聞こえてくることに、少し驚きました。最初は演出としてあえてそういう音声を流しているのかと思ったくらいです。
鈴木さん:当時もきっとこういう光景があったはずで、それが一瞬で失われてしまった。その対比がやっぱりすごく生々しいというか……。被爆した校舎のドアや窓もちゃんと保存されていて、それを見ると本当にいろんなことを考えさせられます。
小田原さん:以前お話を伺った広島市立基町小学校の先生が、被爆樹木のことを「物言わぬ第三者」と仰っていたことを思い出しました。というのも、言葉で原爆の被害と加害を説明するだけでは、とくに基町のような多様なルーツを持つ子どもたちの平和学習というのはなかなか難しいものがあるらしいんですね。だからこそ、こういう「物言わぬ第三者」の力を借りながら平和学習をしているんです、と。
鈴木さん:モノそのものの重みというか、単純な言葉以上に訴えかけてくるものがありますよね。
小田原さん:それに、いわゆる被爆遺構って、ただそこにあり続けてきたわけではないと思うんです。この施設にしても原爆ドームにしても、かなり人の手が入っている。この場所を残そうとしてきた人々の意志を、展示の一つひとつから感じられるような気がします。
本当に大切なものは、
「台座」のなかに隠されている
袋町小学校をあとにしたふたりは、平和大通りを西に向かって歩きはじめました。旧太田川が近づくと、春先の冷たい風がびゅうびゅうと吹いてきます。
鈴木さん:そもそも、戦争や災害の被害を受けた場所にモニュメントが建てられるのって、世界中であることじゃないですか。慰霊の気持ちから自然とそうなるのか、それとも何か別の理由があるんでしょうか。
小田原さん:やっぱりひとつには「日常を回復するため」だと思います。モニュメントを中心とした「慰霊の場」をつくれば、それ以外の場所では「日常」を取り戻していける。もちろん、それだけで「何かが起きたこと」を忘れられるわけではないし、忘れるべきでもありません。そういう記憶と忘却のせめぎ合いは、きっと今でも続いているのだと思います。
鈴木さん:そういえば、たしか平和大橋のたもとにも観音像が立っていたはずです。
平和大橋の東側、川沿いに静かに佇む『被爆動員学徒慰霊慈母観音像』。学徒動員先で被爆して亡くなった市内の旧制中学校・女学校21校、約4千人の生徒たちを慰霊するために建てられた観音像です。
小田原さん:台座(築山)のところに扉があるのがわかりますか?
鈴木さん:あ、本当だ。何が入っているんだろう。
小田原さん:戦没者の名前を刻んだプレートが収められているそうです。実はこういう台座のあり方は、ここだけに限ったことではなくて。そもそも日本におけるモニュメントの歴史を紐解いていくと、「台座こそが本体だ」という考え方があるんです。
鈴木さん:そうなんですね。普通に見ていると、台座の上にある銅像の方に目がいってしまいます。
小田原さん:彫像の方は、ある意味では「交換可能なもの」じゃないですか。だからこそ、本当に大事なもの――ここなら死没者の名前を刻んだプレート――は、台座の方に大切にしまっておく。それが日本におけるモニュメントのあり方のひとつなんだと思います。
鈴木さん:そう考えると、この台座のように扉がついていて、「大事なもの」が取り出せるようになっていることも重要な気がしてきました。
小田原さん:まさに。プレートなり名簿なりを取り出して、それを更新することが見越されているんです。
鈴木さん:その行為自体がひとつの儀式になっているというか。
小田原さん:でも、だからこそ「誰が誰の名前を刻むのか」という判断は、さまざまな政治性を孕むことにもなるんです。
鈴木さん:うーん、公的なモニュメントだからこそそういう難しさが伴うわけですね……。でも、この像にたくさんかけられた千羽鶴を見ていると、政治性からは離れた、もっと個人的で素朴な祈りのようなものも感じます。
小田原さん:この千羽鶴、まだ新しいですね。誰かが定期的に交換しているのかな?
鈴木さん:千羽鶴って、不思議ですよね。鶴を折るという行為と、平和への祈りが、自然につながっている。広島で暮らしているとあまりにも当たり前のことだけれど、もしかするとすごく特別なことなのかもしれませんね。
「越境者」が手がけた橋を渡り、
「名もなき母子」の像の前に
さて、建築を専門とする鈴木さんが小田原さんとともにぜひ訪ねたいと仰っていた場所のひとつが、イサム・ノグチが欄干をデザインした平和大橋と西平和大橋でした。
鈴木さん:小田原さんはイサム・ノグチをどのような彫刻家として位置づけていますか?
小田原さん:ひと言でいうなら「越境者」でしょうか。その人生のままならなさも含めて、とても重要な作家だと思います。特に抽象彫刻において、その達成には目を見張るものがある。
鈴木さん:橋というのは、こちら側とあちら側をつなぐものじゃないですか。メタファーとしては、此岸と彼岸に見立てることもできる。戦後、国際都市を目指した広島において、越境者であるノグチが「橋」をデザインしたことは、それだけで興味深いですよね。
小田原さん:そうですね。造形としても見応えがあります。橋の欄干でありながら、こんなにも作品としての強度がある。
橋の上を歩きながら、あれこれ議論をするおふたり。気がつけば、次の目的地である平和記念公園を通り過ぎて、西平和大橋を渡りきっていました。けれども急ぐ旅ではありません。来た道をゆっくりと引き返していくと、平和大通りに面した『嵐の中の母子像』が見えてきました。
鈴木さん:この彫刻を手がけたのは、たしか本郷新でしたよね。
小田原さん:そうですね。モニュメントというと「〇〇将軍の像」といったかたちで、いわゆる偉人の像がつくられがちですが、本郷はむしろ「名もなき人々の像」を意識的につくってきた作家です。
鈴木さん:名もなきひとりの母親が、前屈みになって必死に我が子を守っている。
小田原さん:このデフォルメされた姿勢にも、本郷らしさが表れていると思います。彫刻という芸術は、歴史的に「正しく美しい身体」を表現することをひとつの規範にしてきました。そして垂直に屹立する像――立つこと、そびえ立つこと――は、権力や強さの表象とも深く結びついています。だからこそ本郷は、あえて彫刻をまっすぐ立たせない。寝転がらせたり、前屈みにさせたりすることで、規範に抗おうとする。この母子像も、まさにそういう作品のひとつだと思います。
原爆の被害者は誰なのか?
少女は平和を“担わされている”のか?
春の日差しがかげりはじめる頃になると、風がいっそう強くなってきました。『嵐の中の母子像』のすぐ後ろにある『祈りの泉』の噴水が大きくたなびき、水しぶきを輝かせています。
その下をくぐるようにして、おふたりは平和記念公園へ。公園の西側に広がる木立のなかを進んでいくと、『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』が見えてきました。
鈴木さん:ここには花だけではなく、水やお菓子がお供えしてあったり、ほかのモニュメントとはちょっと温度感が違う感じがしますね。
小田原さん:長崎でもそうですが、やはり原爆というと「日本」あるいは「日本人」が被った悲劇と考えられがちです。けれど実際には、被爆者のなかにも朝鮮半島から連れてこられた方もいたし、中国の方もいた。そういうところを語っていくことは、これからますます重要になると思います。
慰霊碑にかけられている千羽鶴を、風が飛ばしました。それを拾い上げる鈴木さん。向こうからは『平和の鐘』の音が聞こえています。西日の差し込む木立のなかを抜けると、『原爆の子の像』が見えてきました。
鈴木さん:原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんをモデルにしたこの像は、平和記念公園のなかで最も有名なモニュメントのひとつですよね。それが「少女像」であることを、小田原さんはどう考えますか?
小田原さん:少女が表象する「無垢さ」みたいなものは、良くも悪くも求心力を持つのだと思います。だからこそそれを利用されてきてもいて、いまこの像をまじまじと見つめていると「これが果たして平和なのか?」とも感じてしまいます。
鈴木さん:たしかに、折り鶴という平和の象徴を、子どもが“担がされている”ようにも見える造形ですよね。
小田原さん:「この像を見て、禎子さんはどう思うんだろう?」ということは、素直に気になってしまう。あとは造形的なところでいうと、これが裸体像ではなかったこと、服を着せられていたことは本当によかったなと思います。近年では裸体像は世界的に撤去の方向に向かっていますし、宗教によっては裸体像を直視できないという方もいますからね。
鈴木さん:作者の菊池一雄は、千代田区の「平和の群像」をはじめ、多くの裸体像を手がけたことで有名な彫刻家ですが、この像についてはそういう配慮もあったのかもしれませんね。
モニュメントを前に、頭を垂れる必要はない
風はいっこうに止む気配がありません。三月だというのに、まるで真冬のような寒さです。平和公園をあとにしたおふたりは、逃げ込むようにして原爆ドームのすぐ近くのカフェへ。コーヒーで身体をあたためながら、今日一日を振り返っていきます。
鈴木さん:こういうと不適切なのかもしれませんが、小田原さんと戦争や平和にまつわる場所を訪ねてみて、すごく“楽しかった”んです。ひとりだと、もっと真面目になってしまうというか。
小田原さん:その感覚、とても大切だと思います。難しく考え過ぎて、「平和については迂闊に語れない」となる方が、よくないじゃないですか。
鈴木さん:でも、その一方で世界では今も戦争が起き続けているわけで……。そういう状況を見ていると、こうやって戦争の歴史を記録する意味ってなんだろう、とも考えちゃうんですよね。
小田原さん:実際のところ、ただモニュメントを見ただけでは、心から平和について考えることって、なかなか難しいと思うんです。じゃあ、それでも平和について考えさせるためにどうするかというと、ある種の「振る舞い」を強制するわけです。「この像の前で頭を下げなさい」とか「ここで鐘を叩きなさい」とか。
鈴木さん:黙祷もそうですよね。ひとつの儀式というか。
小田原さん:そういうやり方って、すごく有効なんですよ。平和について人々に考えさせるためには。でも、そうやって身振りを強制し、思考を制御するという手法は、逆の方向にも使えてしまう。
鈴木さん:極端な話、「戦争をしよう」という方向にも使えてしまうわけですよね。
小田原さん:そういう意味ではモニュメントというのは、その前で頭を垂れていないのは誰か、身振りの統御から逃れている人は誰なのかを炙り出すものでもあると思っています。
鈴木さん:今日は話すのに夢中で、そういう「身振り」は全然しなかったですね。
小田原さん:それでいいと思うんです。むしろ、そういう身振りの強制からは、積極的に逸脱していった方がいい。もちろん、それは歴史を軽んずることではなくて。「この造形って面白いよね、変だよね」というところから、考えを深めていくこともきっとできると思います。
鈴木さん:そう言われると、もっとたくさんのモニュメントを見て、もっと逸脱してみたくなってきました(笑)。あらためて今日はありがとうございました。最後に恒例の質問をさせてください。小田原さんにとって「暮らし」とは何ですか?
小田原さん:平和とは?と同じくらい難しい質問ですね(笑)。でも、自分が何を選んで、何を選ばないのか、ということは日々の生活のなかでもなるべく意識するようにしているかもしれません。買物をするときにも、こうやってコーヒーを飲むときにも。みんながみんなそうすべきというわけじゃなくて、私はそれが好きなんです。そうやって自分の選択を振り返りながら、自身の偏りを点検していくことが。私にとっては、その積み重ねが暮らしなのだと思います。
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